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秋葉山 新井寺

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秋葉山 新井寺(あきはさん しんせいじ)

「一仏両祖さま」のこと

曹洞宗では、仏教の源のお釈迦さま(中央)
大本山永平寺を開かれた道元禅師さま(右)
大本山総持寺を開かれた瑩山(けいざん)禅師様(左)を「一仏両祖さま」として信仰のよりどころにします。

秋葉山 新井寺(あきはさん しんせいじ)

秋葉火防大祭 11月18日

10時半 ・ 11時半 ・ 午後1時半 ・
2時半 と4 回のご祈祷を行なっています。
ご都合の良い時間におまいりいただき、 ご祈祷をお受けください。

寺院名   秋葉山 新井寺 ( あきはさん しんせいじ )
住所   〒272-0144 千葉県市川市新井1丁目9の1
電話 047-357-8319  FAX 047-357-8399
メール info@shinseiji.jp
宗派   曹洞宗 ( そうとうしゅう )
大本山   福井県吉田郡の永平寺 ( ご開山 道元禅師さま )
横浜市鶴見区の總持寺 ( ご開山 瑩山禅師さま )
ご本尊   釈迦牟尼仏
開創   元和 2  (1616 ) 年
ご先祖さまのために・生きているみんなのために
年間法要
など
  〇 元旦祝祷諷経  
   元旦 午前 0 時過ぎから

〇 お彼岸法要    
   春分の日 ・ 秋分の日 午前 1 1 時 から

〇 お盆おせがき法要   
   7 月 1 6 日 午前 1 1 時 から

〇 秋葉火防大祭   
   1 1 月 1 8 日 午前 1 0 時 半 から

生きているみんなのために 
日時は
おたずね
ください
  〇 月例坐禅会  
   日曜日 午後 3 時 から (4月 から 10月)
        午後 2 時半 から (11月 から 3月)  

〇 月例写経会 
   土曜日 午後 2 時 から

〇 梅花講 
   月 2 回 午後 1時半 から

〇 年越し坐禅会
   1 2 月 3 1 日 午後 1 1 時半 から


新井寺 ( しんせいじ )は、行徳 ・ 浦安地区唯一の曹洞宗のお寺です。
仏さまのご供養はもとより、坐禅会 ・ 写経会 ・ 梅花講 などの参禅会も行なっています。
みなさまのご来山をお待ちしています。
最寄りの駅は 東京メトロ東西線 浦安駅 または 南行徳駅 です。

〇 東京メトロ東西線浦安駅(快速電車も止まります)
下車 徒歩にて約20分

〇 浦安駅から徒歩でおいでになる場合
行徳方面に直進して、しばらく歩いていただく(信号が4つあります)と、左側に大きな赤い看板の「かいりきや」さんという
ラーメン屋さんとローソンがあります。その間が路地になっているので、その路地を入って、突き当りまで進んでください。
その突き当りが、おてらの裏門です。

〇 浦安駅からバスに乗る場合
京成トランジットバス
「相之川経由本八幡駅行き」にて新井(あらい)で下車
5つ目の停留所 ・ 所要時間 約7分 ・ 料金160円
 京成トランジットバス浦安駅発の時刻表

〇 タクシーに乗る場合
駅の改札の左側にロータリーがあります。そのロータリーに「タクシーのりば」があります。
「新井1丁目の熊野神社の隣の”新井寺(あらいてら)”へお願いします」と運転手さんに伝えてください。
あるいは、「バイパスを進んで大きな赤い看板の『かいりきや』さんのところを左に入って、突き当りまでお願いします」と伝えてください。

〇 東京メトロ東西線南行徳駅(快速電車は止まりません)
下車 徒歩にて約15分

〇 南行徳駅から徒歩で来られる方へ
今井橋方面へしばらく直進して、歩いていたただく(信号が3つあります)と、「相之川」という大きな交差点があります。
その交差点を渡って、左に曲がって少し進むと、右側にローソンと大きな赤い看板の「かいりきや」さんというラーメン屋さんがあります。
その間が路地になっているので、その路地を入って、突き当りまで進んでください。
その突き当りが、おてらの裏門です。

〇 南行徳駅からバスに乗る場合
京成バス
「瑞75系統 江戸川スポーツランド行き」にて新井新田(あらいしんでん)で下車
二つ目の停留所 ・ 所要時間 約5分 ・ 料金160円
 京成トランジットバス南行徳駅発の時刻表

〇 タクシーに乗る場合
駅の改札を出て、右側の階段を降りたところにロータリーがあります。そのロータリーに「タクシーのりば」があります。
「新井1丁目の熊野神社の隣の”新井寺(あらいてら)”へお願いします」と運転手さんに伝えてください。
あるいは、「バイパスを進んで大きな赤い看板の『かいりきや』さんのところを右に入って、
突き当りまでお願いします」と伝えてください。
〇 千葉方面から
京葉道路「市川IC」より約15分
首都高速湾岸線「湾岸市川IC」より約15分

〇 東京方面から
京葉道路「一之江IC」より約15分
首都高速湾岸線「浦安IC」より約15分
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今からさかのぼること四百年のむかし 観音さまに願いをこめて
新井寺は 今からさかのぼること400年の昔にはじまりました。『新井寺由来記』には次のように記されています
当山は普門山新井寺と称す。
今より凡そ三百餘年前、能山鷹藝和尚(のうざんおうげいおしょう)の開創するところにして、其の寺名の起源に就いては次の如き傳承あり。
当地は旧時江戸時代には地名を下總國(しもふさくに)南行徳領新井村と呼称(こしょう)され、附近海浜より塩を産し、江戸城内に直納され、幕府の直轄地として支配され俗に天領と称された。
從って地理的に海岸線に沿う所より、日常生活に必要とする飲料水(真水)に乏しく 地元民は各所に鑿井(さくせい)するも真水には恵まれず、多年これが解決策に難渋せりしと。
時に、船橋本郷、寶成寺(ほうじょうじ)に、能山和尚住し、學徳の譽高し。
たまたま新井郷(ごう)民のなげきを耳にし、これを救済せんと発願し、観世音菩薩に祈願をこめ、その霊告により部落に地を定め一井をほらしむるに、不思議なるかな 混混として真水湧出せるをもって郷民一同歓喜し、能山和尚の法力恩徳をたたえると共にこれに報いるに一寺を建立し以って、能山和尚を迎えて開山とす。
即ち新たに真水の井戸を得たるところより地名を改め新井村と称し寺名もまた新井寺と名付けたる由なり。これより以後、新井寺が中心となり村づくりが進みしと言う。
生活に欠かすことのできない「水」に困っていた町の人びとを救ったのは、観音さまとひとりの和尚さまでした。
町の人びとは、その和尚さまに感謝をしてお寺を建てました。
そして、そのお寺の「ご開山さま」としてその和尚さまを迎えました。
そのお寺は、新しい井戸が湧き出た寺、「新井寺」と名づけられました。
このお寺が今日の新井寺です。
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秋葉三尺坊大権現様のこと
新井寺の山門を入ってすぐ右側の石段を上ると、
赤い天狗の葉っぱが描かれた扉のお堂「御眞殿(ごしんでん)」があります。
この「御眞殿」には、火防せ(ひぶせ)の神さま、
「秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくぼうだいごんげん)」様がお祀りされています。

この秋葉三尺坊大権現様は、新井寺とゆかりの深い「御経塚(おきょうづか・・新井寺の裏門を出てバイパスを渡り、路地を入るとまばらな木立のなかにある 小さな築山のような「塚」)」に残されている『法華経塚誌(ほけきょうつかし)』によると、いまから約三百年前、新井寺の四代目の住職 慈潭珠悦(じたんしゅえつ)大和尚様が、お祀りされたのがはじめとされています。

当時、凶作や飢饉が相次ぎ、さらには疫病も流行して、
人びとの心は「麻のごとくに」乱れ、世相は、「混乱の極みに達していた」といいます。
そのことを案じた慈潭和尚様が、
観音菩薩様の化身(けしん・観音さまが仮にあらわしたお姿)である
秋葉三尺坊大権現様を遠州(現在の静岡県)の秋葉總本殿可睡斎(あきはそうほんでんかすいさい)からお迎えされ、
人びとの安寧を祈願されたと、伝えられています。
また、現在、秋葉三尺防火坊大祭で転読されている『大般若波羅蜜多経六百巻』(手書き)は、慈潭和尚様が寄附を募って経本を調製、苦心の末、書写されたものと伝えられます。
その後、先代住職が、昭和41(1926)年に、現在の御眞殿を新築建立されました。以後、寒さとともに火を使う機会の多くなる初冬11月の、観音さまのご縁日である18日、11月18日に、新井寺の火防大祭が勤められてきました。新井寺の檀信徒や秋葉講の皆様、町内近隣、有縁無縁の皆様方の家内安全、火災消除、諸難消滅、心願成就、諸縁如意吉祥(すべてのしあわせ)を祈念する「ご祈祷」を行ない、「火の用心」のお札をお授けしています。
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新井寺に伝わる伝承 お経塚 いのちがけで人びとを救ったひとりの和尚さまの誓願
今を去ること二百六十余年前 宝永年間
当地一帯は 凶作飢饉あいつぎ 悪疫流行し為に人心麻の如く乱れ 世相混乱の極に達せし時に 秋葉山新井寺四世 慈潭禅師(じたんぜんじ)座視するに忍びず 三七 二十一日間の断食祈願の禅定に入る即ち 観世音菩薩の霊験ありて 観世音の化身 秋葉権現を遠州より勧請し(迎え)新井寺境内に奉祀し
大いに教化につとめたたたえて慈潭禅師を生き佛と言う

更に 吾れ永く郷民(地もとの人々)を火難水難より
守護せん との誓願を立て 海辺より貝殻(蛤)をあつめこれを浄めて法華経を書写し これを土中にならべしき この上に端座火定(生き乍ら坐禅をして火葬になること)に入り 人柱になり給うと言う

人よんでこれをお経塚と称す

昭和四十三年六月三十日
市川市新井
秋葉山 新井寺 廿八世
松井憲孝 謹誌

新井寺の裏門を出てバイパスを渡り露地に入ると、まばらな木立のなかに小さな築山のような「お経塚」とよばれる塚があります。
この「お経塚」には、新井寺と縁の深い歴史があります。 石柱に彫られた「御経塚」の文字は、新井寺先代住職が書かれたものです。
数段の階段を上がると、左奥にお経塚の縁起を語る『法華経塚誌』という石碑が建っています。この石碑も、先代住職が残されたものです。この石碑には、このような話が彫られています。

凶作・飢饉・疫病の流行でひどく荒んだ人びとを何とかして救わねばと、ひとりの和尚さまが三週間の断食祈願の行をなさいました。
そして、遠州(静岡県)から「秋葉権現様」をお迎えし、新井寺の境内にお祀りをしました。人びとは、この和尚さまの尊い善行をたたえて「生きぼとけ」とよんだそうです。さらに和尚さまは、人びとをもろもろの災難から護ろうと誓願をたてました。
海辺から集めた貝殻に「法華経」というお経を写経し、その貝殻を土に埋めてその上に坐禅を組み、
生きながらにして火葬に入られました。

この和尚さまは、 新井寺の四代目住職を勤められた慈潭珠悦(じたんしゅえつ)大和尚様です。
慈潭和尚様が遠州(静岡県袋井市の可睡齋<かすいさい>)よりお迎えした秋葉権現様は、
新井寺境内の御眞殿に現在も大切にお祀りされています。毎年、11月18日に新井寺で行なわれる「秋葉三尺防大権現火坊大祭」の「火防せ」の護り神さまです。

慈潭和尚様は、貝殻ひとつひとつに一字ずつの般若心経一巻、法華経八巻を書写し、地中に埋め、御自ら火定に入られたとされています。
コレラが幾度か流行したという明治から大正期、このお経塚の経貝がコレラに効くといわれ、ほとんどが掘りつくされてしまったそうです。

今日、このお経塚の由来を知る人は少なくなりました。
しかし、慈潭和尚様が「いのちがけ」で人びとを守られた、その尊い善行は、新井寺の「たからもの」として、大切に語り継いでいかねばなりません。
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